原点回帰

愛おしくってごめんね

担当したいとはこういうことなのかもしれない


担当とはなんぞや。

去年の夏、何年かぶりにジャニヲタへの復帰を果たしたものの、『担当』とはなんだろうかと考え続けていた。

oskcmtn.hatenablog.jp


長らくジャニーズといえば中居くんとSMAPにしか興味がなく、そこと関わる場面でばかり後輩グループを見ることが多かったし、女性アイドルを応援することが多かったために、『推し』という言葉のほうが馴染みが深いからだろうか。

未だに私は中居くんを『担当』とする勇気はない。好きだという気持ちはバリバリの現役だけれども。

 


そんな、『担当』不在の私に、決定的な転機が訪れた(かもしれない)。

関西ジャニーズJr.の『春休みスペシャルShow2015』、通称春松竹での出来事である。

出来事というのは少し違うかもしれない。具体的に何か事件が起きた訳でもなく、こちらの心境の変化、あるいは深層心理への気付きでしかないとも言える。

 


前々からあの子に対してはかわいいだとかかっこいいだとか、そういう即物的な感情はあまり抱いたことがなくて、ずっと、応援したいな、という思いでいた。
でもとある日、春松竹の一部二部と続けて入って、一部を見てる時にはじめてあの子に対して、
「良いパフォーマンスするじゃん!」
って感動した。
すごく嬉しかった。
ファンサをもらえたのも嬉しいことは嬉しいけど、あんなに素敵なパフォーマンス見せてもらえたことが、何よりも嬉しかった。

もっともっと、大きなステージで輝く姿がみたいと願ってしまった。

トークしてるあの子に対して、応援したいと思うことしかなかったのに、ステージ上で歌い踊るあの子をみて、もっと大きいステージで輝いてほしいと思ったのは、正直はじめてだった。
とはいえ、その後の二部を見たら、あれ、一部ほど良くはないぞ?ってなって感動が少しだけ鈍くなったりもしたのだけれども。

 


春松竹でのパフォーマンスがわたしのなかでとてもとても素敵だったから、ファンサをもらえたことよりもなによりもそれが嬉しくて、ステージ上できらきらするあの子をもっとみたい、と思ってしまったとき、『担当したい』というのはこういうことなのかもしれないと、ふと感じてしまった。


関西ジャニーズJr.の金内柊真くん。
わたしは、きみのことならば、『担当』と呼べるのかもしれない。